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PROFILE

Hitomi

Web Marketer,
Consultant

なにも持たない個人が

Hitomi

「Webマーケ」を仕事にしていくために

古典・ロシア文学、暗い映画、サントリー烏龍茶、ジム(←New!)が趣味で、特に本は毎日早起きして読んでいます。
でも、1年で溜まった本は年末に捨てる傾向があります。ロシア文学が特に好きで、ドストエフスキーはいつもかばんのなかに入っています。

いつかは海辺で短編映画でも撮る生活を送りたいと思っています。

WORKS

  • ブログ収益化
    コンサルタント
  • オンラインサロン
    運営
  • 企業向け
    WEBマーケティング
    コンサル

『なにも持たない個人が「Webマーケ」を仕事にしていくために』というコンセプトで、当メディアを運営。
主催するオンラインサロンでは、ブログを使ったマネタイズ手法を指導しつつ、クライアントの”場所にとらわれない人生と働き方”の創造をトータルサポート。
常に更新される新鮮な情報、セミナーや懇親会、リアルイベントなども定期的に開催し、知性・感性を磨きながら、総合的に楽しくビジネスを構築していくことを目指しています。

自身のメディア運営の枠を超えて、IT、建設、人材領域の企業様にWEBマーケティングスキル、コンサルティングを提供するなど企業コンサルの経験も多数。
WEBマーケターとして幅広く活動しています。

会社員時代の話

私は大学4年生まで体育会で部活動をしていました。学生時代は練習・練習・練習の日々で、まさに青春!という感じ。
部活っていうのはキツイけれども、「努力すること」「仲間と楽しむこと」「情熱を燃やすこと」を教えてもらったような気がします。

いずれにせよスポーツの世界で今の私が培われたことは間違いありません。

当時の私は、特に将来に対する不安も焦りもありませんでした。
周りのみんなと同じように就職活動を経て、無事に大手上場企業に入社することができました。
まさに“理想の会社”!といった感じで、そこでは文句のつけようもない給与と福利厚生が待っていました。

これまでの人生のなかで、習い事や部活などなにに関しても
「つらいから辞める」「嫌だから辞める」という選択をしたことがなかった私にとって、
このときはまだ「一生この会社で働くんだ」という思いしかなかった。
“社会”という新しい環境にただただワクワクしていたのです。

古き良き組織体勢が性に合わなかった。

入社して間もなくは新入社員研修があり本社で1ヶ月過ごしました。
その研修で新入社員の適性を判断され、それぞれの事業部・部署に配属されます。
私は当然、思いっきり体育会系勢揃いの部署に配属されました(笑)
それは、いま考えても当然だと思います。

配属後、私がすぐに違和感を覚えてしまったのは、良くも悪くも“古すぎる”会社の体制でした。

例えば教育制度ひとつとってもそう。価値観ひとつとってもそう。飲み会の作法ひとつとってもそう。
とにかく若手を拘束したがる、管理したがる、ルールにがんじがらめにしたがる。
語りだしたらキリがないのですが、とにかく古い体質の企業でした。

少なくとも週に4日は、朝までお酒を飲みました。「8時間働いて、8時間呑む」という生活が常でした。
上司が飲みの場でタバコを吸うのでスーツは何枚あっても足りない。
かといってクリーニングに行く時間もない。

初任給はほとんど接待用ゴルフセットに消え、飲み会の無い日はゴルフスクールに通った。
カラオケに行けばまったく知らない歌を歌わされるので、90年代の歌を聴きまくって覚えた。

度重なる疲労とアルコールの過剰摂取で年に2回倒れ、両方とも診断名はアルコール性胃腸炎でした。
年末の忘年会ラッシュにはいよいよ身体がついていかず、病院のベッドで年を越しました。

でも、この場においてその会社の愚痴や不満を言うつもりはありません。
私が特別かわいそうなわけでも辛い環境にいたわけでもない。
社会に出た若者は大小に差はあれど、みんな同じような思いをしているはずです。
社会ってそういうものじゃないですか。

結局のところ、私がわがままだったのです。自分が思っていた以上に、「自由にやりたい性分」だった。
給料とか福利厚生とか社会的ステータスなんかより、「やりがい」とか「達成感」とか「充実感」とか。
そういうことに価値を見出すまさに“ゆとり世代代表”みたいな人間だった。
そのことに、ようやく気がついたのです。

もちろんあの頃、自分のなかの欲求やちっぽけなプライドなどすりつぶして、
会社に合わせてなんとなく過ごしていれば、ずっとずっとラクチンだったに違いありません。
そういう選択肢ももちろんありました。

だけど私は絶望のなかにいて、外の世界に希望を見出していたのです。
「きっと、もっと良い景色があるはずだ」と。

現実逃避

長い学生時代と長い就職活動を経て、ようやく出会えたと思っていた理想の企業は、私にとってなにもかもが苦痛でした。自分のこともよく知らないまま社会という大海原に乗りだし、荒波に揉まれ、羅針盤を見失い、航海することを諦めた私は、たった1年半で「退職」という大きな決断に踏み切ります。

当時私がいた企業は給料もボーナスも福利厚生もバツグンによかった。だから、退職すると決めてからも「私はこれから一体どうなってしまうんだろう」とすごく怖かったです。

毎月決まった日付に振り込まれるお給料に人がどれほど安心感を見出しているのか、よく理解できました。普通の会社員の方が、辞めたい辞めたいと言いながらもなぜ辞めることができないのか、心底理解できました。お世話になった先輩方を裏切っているような気持ちになり、罪悪感で胸が締め付けられました。

それでも当時は、「ここではないどこか」を求めていました。どうしても現状から抜け出したかったのです。

そんなとき毎日のように通っていた代官山の蔦屋で、ふと目について手にとった本、今でもよく覚えています。成瀬勇輝さんの著書『自分の仕事をつくる旅』でした。会社員という概念にとらわれて内にこもりかけていた私にとって、「自由に世界中を旅して生きている人達もいる」ってことが、あまりにも眩しくて衝撃的でした。

何度も何度も読み返しました。「もしかして私にもできるんじゃないかな」って、ドキドキしました。ただただ無性に旅がしたくなりました。あれは、ただの現実逃避だったのかもしれません。

でももう、「逃げでもなんでも良い」と思いました。つらいことに耐えて、我慢することや、不満をもちながら会社に人生を捧げて、死んだ目をして満員電車に乗ることが立派な社会人だというならば、そんなステータスなど要らない。私にとって、心から「毎日楽しい」って言えることのほうがずっと大事でした。

だから、どうやったら旅ができるのだろう?と真剣に考えてみました。その答えは、「メディア運営」でした。理由は単純。PCさえあればどこでもシゴトができると考えたからです。

思いたった私は、以前からずっとメルマガを購読していたとある起業家さんのオンラインコミュニティに参加しました。そこで「ブログを使ったマーケティング」を学びはじめます。

SEO、集客、Google、Wordpress、コピーライティング、マーケティング…なにもかもが初めてのことだらけでしたが、とにかく吸収するのに必死。そしてすぐにGoogleAdsenseを使ったブログの収益化に成功します。

その後、複数社様のメディア立ち上げ・運営のお仕事を受注し、うち2社様と長期契約をしていただけるようになりました。ここで完全に会社員生活に終止符を打ち、独立起業を果たします。ここからの1年間は、企業向けにWebマーケティングコンサルを行いながら情報発信も続けてきました。

私のすべてのはじまりは、ただの現実逃避でした。でも、逃げて、逃げて、逃げまくったそこには、想像を遥かに越えた素晴らしい景色が待っていました。

好きなように仕事をする

現在の私は自身のメディア運営、企業のWEBマーケ・コンサルを複数社、100名以上のオンラインサロン運営を主な仕事にしています。

お付き合いさせていただいた企業は3年で10社以上となり、オンラインサロンもおかげさまで毎年受講メンバー様が増えている状況です。

メディア運営、企業コンサル、オンラインサロン主催。これらは私の仕事でもあり、同時に大好きなコトでもあります。

もっと、「好きなことを仕事にする」「場所にとらわれない働き方をつくる」風潮が広まったら良いなと思っています。そしたらもっと人生の選択肢や、幸福度、自由度が高まるはずだし、そういう仲間を1人でも増やしたくてこうした発信を続けています。

これまで、ブログのマネタイズに成功し収入を安定させたメンバーや、私と同じようにメディアを使って情報発信をはじめるメンバーや、企業のWeb制作案件を受注し起業4ヶ月で200万の利益を出すメンバーなど、続々と素晴らしい実績者が出ています。

最終的には、仲間たちとふら~っと海外旅行に行ったり、趣味である短編映画をだれに見せるわけでもなく撮ったり(笑)、家族や友人との時間を大切にしながら、それでいて本気でビジネスに取り組める自分でありたいな、と思います。
好きで、一生懸命やっていることが、「人生における貴重な資産になっていく」という好循環をつくっていくことこそが、人生の豊かさに直結するのではないかと考えます。

さて、今の私には、ブレない指針があります。それは徹底して「好きなように仕事をする」ってことです。

なんとなく自分勝手な耳心地になってしまうけれど、これからの時代はこの価値観こそがマジョリティになっていきます。

「好きなように仕事をする」って、どういうことでしょうか?

それは、「何をするか」ではなく「どういう自分でありたいか」、を追求すること。
何かを成し遂げようとするよりも、いかに自分らしく笑って過ごせるか。「誇れる自分でいられるか」を考えていくこと。

そんな小さな革命を起こすために今日私のサイトに訪れてくださった方がいれば、これほど嬉しいことはありません。

仕事さえ楽しければ人生は幸せだと思った

つらつらと私のお話をしてしまいましたが、このような経験を経て私は「人間、仕事さえ楽しければ人生だいたい幸せなんじゃないか」って思うようになりました。

会社員時代、素晴らしい待遇と環境のなかでお仕事をさせてもらったけれど、いつもどこか物足りなくて、虚しかった。「良い会社員」のフリをして“自分らしさ”を見失いかけていた私にとって、「起業」という選択肢はまさに唯一の希望の光でした。

一昔前は「起業」というと、一世一代の賭けに出る!っていう感じでした。私達の親世代はきっとまだそう思っている方も多いことでしょう。しかし今はもう全然違います。組織ではなく個人が影響力をもつ時代になりました。

というか、企業に属していれば安心、というわけでもなくなってきています。企業に人生をまるごと預けるくらいなら、自分自身の知識とスキルでいついかなるときも生きていける・お金を稼げる術を身につけておいた方が、むしろ安全だともいえます。

インターネットが発展しパソコン一台あればいつでもどこでも仕事ができる時代において、場所と時間に縛られて時給で働くのではなく、場所にも時間にも縛られず、自分の可能性をどこまでも探る旅に出たほうが良い。

ブログ、SNS、クラウドファンディング、VALUなどさまざまな個人向けサービスのおかげで、誰もが情報を発信できるようになり、自分の理念に共感してくれるひとを募ることができるようになりました。「好きなこと」を思いきり発信して、シゴトにするための環境はすでに整っています。

ぜひこのハイテクノロジー時代の時流に乗りながら、人生の幸福度を高める取り組みをしていきましょう。

蛇足にはなりますが、2017年の秋、唯一の肉親である母が癌に倒れるという強烈な出来事がありました。母の病状は、重く、深刻でした。私は1ヶ月以上にわたり、家と病院を往復する日々を過ごしました。

当然シゴトもありましたが、病院の最寄りのスタバでいつもと変わらぬ業務量をこなし、家族のなかで誰よりも母の顔を見に行きました。

「会社員だったら、どうしていただろう?」と考えたら、ゾッとしました。

職場と実家の距離を考えれば、どんなにがんばってもせいぜい週末に顔を出すことしかできない。「こんな大事なときに大切な人の側にもいられないのなら、なんのために仕事してるんだろう?」って、きっとそう思ったはず。

私は、起業してよかった。心からそう思いました。

自分で稼ぐチカラを身につけるということは、単に「儲ける」ことだけが目的ではありません。自分のなかの小さな誇りを守ること、素敵な仲間に出会いたくさん笑うこと、大切な人の側にいること。

起業っていうのは、人生を楽しむ手段なんだと思います。

決断を「正解」たらしめるプロセスこそ人生だ。

最後になりますが、人はつい「正解」を求めてしまう生き物です。

  • こういうとき、なにが正しいのだろうか?
  • どういう決断をすることが正解なのだろうか?
  • どんな結論であればあの人は喜ぶだろうか?

というように。

しかし、「物事に正解などない」と私は思います。もしもあるとするならば、
「あのときの決断は正解だった」と言えるための行動があるかないかだけだと思うのです。

だからとことん、理想を追いかけよう。共に明るい未来を探しに行こう。
すべての決断を「正解」たらしめるプロセスこそが、人生なのだから。

最後まで読んでいただきありがとうございます。
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